不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか を読んで今の日本はマズいなと思った

こんにちは、ペイです。

 

 

この本の題名ってすごく興味を

そそられませんか?

 

帯に書いてあるのが、これです

よ。

 

太平洋戦争末期に実施された“特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。命を消費する日本型組織から抜け出すには。

 

特攻といえば、絶対に生きては

戻れないという印象が強いと

思います。

 

それを9回も出撃して9回も

生還しているって、どうして?

という素朴な疑問から読み始め

ました。

 

 

読み進めると今も昔も同じこと

を繰り返していて、歴史から学

ぶと言うことを全然していない

んだなと言う焦燥感に駆られて

しまう内容でした。

 

軍隊は階級社会である。命令は絶対だ。その命令がどんなに無意味でもトンチンカンでも不合理でも、絶対服従が軍隊のルールである。それが軍隊を軍隊たらしめている唯一の原則だ。フィリピンに着いて以来、冨永司令官は、航空戦に無知ゆえに不合理な命令を繰り出していく。冗談としか思えない指令で、多くの兵隊が死んでいった。上層部の派閥争いの割を食うのは常に末端の人間なのだ。

 

こう言うことって、いまの会社でも

よくあることで、上場企業の不祥事

もこう言うことがなければ起こらな

いと思います。

 

大本営で発表したことは、恐れ多くも、上聞に達したことである。このことをよく肝に銘じて、次の攻撃では本当に戦艦を沈めてもらいたい」と参謀から言われた。  上聞、つまり、天皇に報告したことは、絶対に訂正できない。天皇に噓の報告をしたことになれば、司令官の責任問題になる。だから、分かっているな、という暗黙の命令だった。「本当に戦艦を沈めてもらいたい」は、「本当に体当たりして死んでもらいたい」を意味した。

 

これも、いわゆる社長へ報告したから

もう訂正できないと言う理屈で良く

ありますよね。

 

でもこの本の主人公の佐々木友次さん

のすごいのは、いまで言えば仕事が

好きで仕事に行くのは苦ではないと

言うところで、この言葉に集約され

ています。

「そうですね、戦場に行くのが恐ろしいとかあんまり思ったことないですよ。飛んでいればいいんです」

 

そして、ボクの会社でもそうですが、

指示を出す側の論理が最優先されて

指示を出されるほうの気持ちは何も

考えられていないと言うことです。

 

全てが会社が決めたことだから、

給料をもらっているのだからそ

れに従えと言う論理です。

 

すこし昔までは、給料はお客様から

貰っているんだから、と上層部の

人間はみんな言ってましたが、今で

はそんな事を言う役員はいません。

 

死ぬことが前提の命令を出す指揮官が、「動揺するようである」という、どこか他人事と思われる推定の形で書くことに、僕は強烈な違和感を覚えます。どれぐらい動揺しているのか、本心はどうなのか、動揺に耐えられるのか。優秀なリーダーなら、部下と話し、部下を知り、部下の状態を把握することは当然だと考えます。  けれど、特攻を「命令された側」の内面に踏み込む記述はないのです。それは見事なほどです。登場する隊員達は、全員、なんの苦悩も見せないのです。それは、今読み返してみると、異常に感じます。

 

そして、この時代も今も誰も

責任を取りたくないのです。

 

隊員の内面に踏み込んだ描写をせず、関大尉の場合のように噓を書く理由は、ひとつしか考えられません。特攻隊の全員が志願なら、自分達上官の責任は免除されます。上官が止めても、「私を」「私を」と志願が殺到したのなら、上官には「特攻の責任」は生まれません。が、命令ならば、戦後、おめおめと生き延びていたことを責められてしまいます。多くの上官は、「私もあとに続く」とか「最後の一機で私も特攻する」と演説していたのです。「命令した側」と「命令を受けた側」をごちゃ混ぜにした、あきれるほどの暴論です。どんな集団にも、リーダーと部下がいて、責任を取るのは、「その指示を出したリーダー」です。その指示に従った部下まで責任を取るのなら、「責任」というものは実質的には無意味になります。

 

そして、その当時の新聞等の

マスコミの態度もいまと何ら

変わりません。

 

日露戦争以降、新聞社は戦争が商売になることを知って、軍部に協力していきます。それが、佐々木友次さんの特攻を書いた勇壮な作文になるのです。  満州事変の時、ほとんどの新聞が「援軍」「擁軍」になった時、『大阪朝日新聞』だけは、「この戦争はおかしいのではないのか。謀略的な匂い、侵略的な匂いがする」と書きました。ですが、在郷軍人会を中心とする不買運動にやられて部数が急落(奈良県では一部も売れなくなりました)、最終的には負けて編集方針を変えました。不買運動に反対し、満州事変に反対する『大阪朝日新聞』を買い支える大衆は存在しなかったのです。

 

戦後70年以上が経過して

いますが、この本を読むと

ちょっと前まので日本は

少しはマシだったけど、今

はこの当時のような雰囲気に

なってきているな?と言う

ことが分かります。

 

そういう意味でも、興味深

い内容ですし、自分に課せら

れた使命の本質は何で、何を

実行するべきか?ということ

を考えさえられる本でした。

 

初めて特攻隊の本を読みまし

たが、おすすめできる1冊

です。

 

 

 

 

 

 

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です